依頼を受けたオフィスビルや商業施設、病院、工場といったさまざまな建物の電気工事や空調管工事、
また電力工事(送電・変電所設備工事)といった専門工事を通じて、無数の人の何気ない日常を陰から支えています。
内線工事と送電線工事を軸に、創業から80年以上にわたり発展を続けてきたサンテック。
そんなサンテックの事業や成り立ち、拠点など最初に知ってほしいことをまとめました。
サブコン業界とはどのような業界で、サンテックが普段どのような役割を担い、人々の暮らしを支えているのか。
ビジネスの流れを分かりやすくご案内します。
1937年の創業以来、電気設備工事を通じて、
人々の安心安全で豊かな暮らしを
支えてきたサンテック。
そんな当社では、地球環境の保全・
顧客満足の追求・創造的かつ
積極的な行動という
3つの理念を掲げることで、
社会や環境、
お客さまに配慮した経済活動に励んでいます。
時代が変わっても社会から必要とされる
企業であるために、
社員一人ひとりが
変わらない想いを胸に、
自己研鑽・技術力向上に努めています。
1937年、広島市で八幡貞一がガス管やケーブル線の敷設、土木工事の請負いなどを行う「満長組」を創業。1941年から太平洋戦争が始まり、軍事施設や造船所の電力使用量が増大、発送電設備拡充に伴う鉄塔建設や送電線の架線工事の受注が増える。
1945年8月、広島に人類史上初となる原子爆弾が投下され、壊滅的な被害を受ける。終戦後、被爆した広島を復興させるべく、満長組は停電の闇に陥る市内に明かりを復活させるため、空襲に備えて疎開しておいた電気工事用具や資材を用いて、停電復旧に奔走する。
1946年に「満長組」を「山陽電気工業所」に改称した後、1948年に「山陽電気工事株式会社」を設立。電気設備会社の多くが、外線(送変電線)部門、内線部門のいずれかに重きを置いた経営を行う中、両部門を区別することなく力を注ぐ。
1947年に「独占禁止法」と「過度経済力集中排除法」が制定されたことで、電力会社の再編成が義務づけられ、1951年に全国を9ブロックに分けた新電力会社が発足。その動きに合わせて、1949年から1955年にかけて日本各地に支社・営業所を開設。1956年には本社を東京に移す。
1963年に外線部門・内線部門に次ぐ第三柱となる管工事および空調工事部門を開設。1975年、東南アジア諸国の中で工業化が進んでいたシンガポールに支店を開設し、海外進出の足がかりにする。その後、東南アジア各地に支店や現地法人を開設し、グローバル企業となる。
バブル崩壊の影響により1990年から経営体質の方向転換を図る企業が多くなる。その動きに合わせ、1992年10月に「山陽電気工事株式会社」から「株式会社サンテック」に商号を変更し、ロゴマークや会社のカラーを刷新。1996年には新本社ビルが東京都の二番町に完成し、移転。
数ある職種の中でも、「施工管理」という職種がサンテックの基盤を支えています。
施工管理がどのような仕事なのか。その仕事内容を詳しくご説明します。
定められた工期内で工事を完了させるために、現場関係者全員とコミュニケーションを取りながらスケジュールを作成。その都度、プロジェクトの進捗状況を確認しながら、必要に応じて打ち合わせを行います。
事前に作成した施工図通りに施設・設備がつくられているかを確認する作業です。器具取付用金具やコンセントBOXの位置など、お客さまに満足いただける品質とするためにさまざまなチェックを実施します。
常に危険と隣り合わせの現場において、事故を未然に防ぐために安全管理を行います。ヘルメットや安全帯、安全靴の確認だけでなく、危険予知活動や安全意識の周知などを徹底し、作業員の安全安心を確保します。
決められた予算内で工事を完了するために、材料費や協力会社への外注費などの原価を管理・調整し、利益を確保します。さまざまな状況の中で無駄や不足がないかを判断しながら、コストの削減を目指します。
お客さまの要望を直接ヒアリングし、それを実現させるために協力会社に対して、工程に合わせた的確な指示を行います。現場の中心に立ち、協力会社と作業に関する打ち合わせを重ねることで、コミュニケーション能力が身につきます。
建設会社から共有された設計図をもとに、CADを使用して配線ルートや照明器具の配置などの施工図を作成。その図面にもとづき、協力会社が工事を実施します。仕様が変更となった際には、修正作業も行います。
国内のみならず、海外にも広がるサンテックの拠点。具体的にどのような地域に拠点を展開しているのか。
各拠点の属性とともに簡単にご紹介します。